医療あれこれ

2012年10月アーカイブ

 これまでにご紹介しているように日本は超高齢社会です。高齢者における病気の発症要因を調べることは重要ですが、多くの高齢者を調査対象とした臨床成績の報告は多くありません。

 この度、アメリカのカリフォルニア大学アーバイン校の研究者らが、90歳以上の超高齢者における運動機能と認知症の関係を調べて報告しました。

physical.jpg この調査研究は、2003年から2009年の期間で90歳以上の地域住民を対象として、神経の異常、運動機能、心理学的テストなどを半年間隔で行いました。対象となったのは90歳以上の847人でしたが、途中で脱落した人などを除いた639人について結果が解析されました。平均年齢は94歳でこのうち女性は72.5%、100歳以上の人が31例含まれていました。

 研究方法は、運動機能として、4 m歩行試験、イスからの立ち上がり動作、10秒間静止立位バランスなどを調べ、認知症の診断は  DSM-Ⅳという公式の診断基準を用いて評価しました。

 その結果、調査された運動機能のすべてが認知症発症と関連することが判りました。このうちでも特に、認知症との関連性が最も強かったのは4 m歩行試験で、運動機能が下がれば下がるほど認知症発症の危険度が高いことが明らかになりました。(右の図)

 この研究報告は、多数の超高齢者を対象として、年月をかけて調査されたものとして、医学的に大変有用なものです。そしてその結果は、歳をとっても、できるだけ体を動かしている方が認知症になりにくいことを示すものであると思われます。

 人体解剖には、医学・医療を学ぶ学生たちが人体の構造を理解するために実習する「解剖学」、原因不明で突然死した人の死因を解明するために行う「司法解剖」あるいは「法医解剖」、さらにある疾患の治療中であった人が不幸にも死の転機をとられたとき、生前に診断・治療を受けていたことの妥当性を調べる「病理解剖」などがあります。このうち「病理解剖」は医学の発展自体に必要不可欠で、これによりさまざまな疾患の原因や病態が解明されてきました。病理解剖することによMorgagni.jpgり生前、臨床医の医療が適切であったかどうかを調査することにもつながり「剖検」とも言われています。この「病理解剖学」を確立させたのが、18世紀イタリアの解剖学者のジョバンニ・バチスタ・モルガーニ(16821771)です。

 18世紀は、医療の歴史(16)でご紹介したオランダのブールハーヴェが医学界の最高峰として注目されていた頃です。モルガーニはひとりコツコツと多くの疾患で亡くなった人の解剖を続け、生前の病状と解剖の所見を詳しく比較検討し、疾患の病態解明をしていったのです。そして1761年、モルガーニが79歳という高齢になったとき、「解剖によって明らかにされた病気の座と原因」と題する18世紀で最も傑出した医学書を著しました。この本は実際のあらゆる疾患について記されており、ある病気は決まった場所に決まった病変として現れることをつきつめています。例えば、脳卒中という病気は、脳の血管が断裂して出血を起こしたか、脳の血管が閉塞して脳細胞が酸素欠乏に陥って発症することはご存知でしょう。これについてモルガーニは、脳卒中はそれまで考えられていたように脳が損傷されるだけでなく、血管が障害されて起こることを初めて述べています。さらに脳卒中による片麻痺(半身不随)の神経症状は損傷を受けた側ではなく、反対側に生じることを明らかにしました。

この本の中でモルガーニは、これまで医療の歴史で紹介してきた物理学的医学、化学的医学、さらにブールハーヴェのような折衷的理論のように、病気の発生がどのような理論的原因で起こるのかについては一切触れていません。ただ単に、臨床症状と解剖所見の事実だけを淡々と記載しているのです。このように、事実だけを述べることは学問的に重要で、医学・医療には注意深い観察が必要であることを説いています。これがその後、臨床医学の世界に受け継がれて、医学という学問を「実証的科学的医学」へと導いていったのでした。

iPS細胞とノーベル賞

 人工多能性幹細胞(iPS細胞)を創出した功績で京都大学の山中伸弥先生がノーベル医学・生理学賞を受賞することが発表されたのはご存知の通りです。大変おめでたいことで、日本人の誇りだと思います。

山中先生がiPS細胞を創られるまでにも、さまざまな体の組織に分化する幹細胞は胚性幹細胞(ES細胞)の研究が行われていました。しかしこのES細胞を作るために受精卵が用いることから生命の原点を使うという倫理的な問題が大きく立ちはだかっていました。それに対してiPS細胞は人の皮膚組織などから作られたもので、ES細胞のような問題も生じません。

 これまでノーベル賞といえば、何十年も前の研究業績などが評価されて受賞するということが多かったのですが、山中先生がマウスでiPS細胞を作ったと発表したのが2006年、人の細胞からiPS細胞を作ったのが2007年ですから、最初の研究成果から56年でノーベル賞を受賞することになりました。異例の速さだと思います。

 ただこの受賞が発表された108日来のマスコミ報道を見ていて、少しだけ気になったことがあります。iPS細胞は再生医療や難病の病態解明、新しい治療法の開発に大変有用であることは事実ですが、これらの新しい医療が今すぐにできるわけではありません。実際の患者さんに対してiPS細胞を用いた医療技術が使用されるようになるには、これから先に長い道程があることが忘れられているようにも感じました。

 それにしても、この受賞は日本人にとって、また山中先生の地元の大阪府民にとっても、大変誇らしいことです。医療のさらなる発展のためにも、この研究が益々発展することを祈念致します。

 日本で一人前の臨床医になるためには、医学部6年間を卒業後、医師国家試験に合格し、さらに医師として2年間の研修(研修医)が必要です。医学部の低学年では教養教育や基礎医学の教育を受けます。そのあと実際の医療を学ぶ臨床医学教育が始まると、座学として講義を受けることは当然ですが、それ以上に実際に医療を受けていらっしゃる患者さんから学ぶ「ベッドサイド教育」が大切になります。特に近年、この臨床医学教育が重要視され、研修医の期間中でも、内科系だけでなく外科系の研修を受けることが推奨されています。

Boerhaave.jpg この「ベッドサイド教育」の基本を最初に始めたのが、オランダにあるライデン大学教授であったヘルマン・ブールハーヴェ(16681738)という人です。それまで医学の考え方は、医療の歴史(10)でご紹介したパラケルススに始まる化学的医学と、同じく医療の歴史(14)でご紹介したサントリオを筆頭とする物理学的医学の2派閥がありました。18世紀に入り、この両者の考え方を取り入れた「折衷派」という新しい流れが生まれてきましたが、それを代表する医師がブールハーヴェでした。ライデン大学での彼の講義は物理、化学のいずれにも偏らず、ときには化学的に、そしてある時は物理学的に説明を加えて学生に医学を教えたのです。その講義が大変判りやすかったため、ヨーロッパ中から多くの学生が集まりました。

またブールハーヴェは、ライデンにある公立病院に学生たちを連れて行き、患者さんの病態を示しながら医学教育をしました。毎日医学生たちと一人一人の患者さんの記録を調べ、回診したのです。彼は医学生たちに「患者さん」が最も優れた教師であることを示したのでした。これが「ベッドサイド教育」の始まりで、書物による座学と違い、実際の病気を観ることによって医学生たちは生きた医学教育を受け一人前の臨床医に育って行きました。

 ブールハーヴェは独創的な研究をしていたのではありませんでしたが、高潔で魅力ある人を持った優れた医学教育者であり、また18世紀で最も高名な医師であったとされています。