医療あれこれ

2012年8月アーカイブ

日本は超高齢社会

 現在の日本は高齢者の数が増え、新しく生まれる子の数が減っていることが問題で、「少子高齢化」という言葉が使われています。その結果、今の日本は「高齢化社会なのだ」と思っている方が多いのではないでしょうか。

高齢者がどれだけ多くなってきているのか、ということを統計学で見るとき「高齢化率」という割合を使って検討されます。「高齢化率」とは65歳以上の人が総人口にしめる割合のことで、これが、7%を超えると「高齢化社会」ということになります。しかし老年医学的にはまだ先があって、14%を超えると「高齢社会」、21%を超えると「超高齢社会」といいます

over.jpg右の図をご覧下さい。これは日本における65歳以上の高齢者の割合、つまり「高齢化率」の年次推移を1980年から2010年まで示したもので、総務省の統計資料をグラフにしたものです。ご覧になって明らかなように、1980年時点ですでに7%を超えて「高齢化社会」になっています。これ以前のデータは示していませんが、1970年に7%を超えて「高齢化社会」になっていました。それどころか、1994年で14%を超えて「高齢社会」となり、2007年にはついに21%を超え「超高齢社会」に突入してしまいました。つまり「高齢化社会」は40年以上昔の話で、現在の日本は「超高齢社会」なのです。

今後いったいどうなって行くのでしょうか。ある推計によると、少子化の影響で総人口は減り、高齢化率はさらに上昇し続けると言われています。38年後の2050年には35.7%とされています。日本人の3人に1人が65歳以上の高齢者となり、まさに「超超高齢社会」になってしまうそうです。

また先ごろ発表された厚生労働省の推計では、現在の認知症高齢者は300万人を突破したということです。これは2002年の149万人から10年間で倍増したことになります。これに対して、2013年度から実施予定の政府の認知症施策では、看護師や作業療法士でつくる専門家チームが認知症と思われる高齢者宅を訪問し、早期の医療支援に当たる、としています。認知症の診断を実施する医療センター数の目標値を盛り込み、市町村の介護計画や医療計画に反映させる考えのようです。

  ともあれ、私たち医療者の仕事は、在宅医療という生活の場で命と生活を支える医療が根付き、地域で専門職が協同して、最期の時間を支えていくことです。命を大切にする文化を根付かせ、成熟した市民社会を築いていくことが最大の使命だと考えています。

 現在の医療で最も基本的で簡単な検査項目は、体温や体重の変化を見ることです。これらは今当たり前のように体温計や体重計が使えるからですが、医療の歴史上、初めて体温計や体重計を作ったのは中世イタリアの医師で、サントロ・サントーリュ(15611636)という人で、一般的にサントリオと呼ばれています。医療の歴史(9)でもご紹介したイタリアのパドヴァ大学において地動説で有名なガリレオ・ガリレイの同僚でした。

santorio2.jpg 温度が上がると空気が膨張することを利用した温度計はそのガリレオがすでに考案していたのですが、サントリオはそれをそのまま体温計に応用しただけのものです。曲がったガラス管を水の入った容器にたて、ガラス管のもう一方の端についているガラス球を口に加えると、ガラス球やガラス管の中の空気が体温によって膨張し、水を押し下げます。ガラス管に「適当に」目盛りをつけておき、水位の変化で体温を見るというものでした(右の図)。温度自体がいい加減なもので、現在のように、お湯が沸騰するのが100℃、水が凍るのが0℃というように絶対的な基準も何もなかったみたいです。しかし人の体の状態を客観的なデータとして初めてとらえたという画期的な試みであったことには間違いありません。

Santorio.jpg もう一つ、サントリオが作って生理学の実験をしたのが体重計です。自分自身がその体重計の上で生活をしました(左の図)。つまり食事や排尿、排便も含めた日常の生活を大きなハカリの上で過ごしたのでした。何を研究したかったのかというと、食べたものや飲んだものがそのまま排泄されると体重は変化しないはずですが、本当にそうなのかどうかということです。その結果判ったことは、食べたものや飲んだものの重さより、排泄物の重さがはるかに少ないということでした。つまり「口から入ったものの一部は知らない間にどこかへ消えてしまっている」ということです。これが、現在で言う「不感蒸泄」や「基礎代謝」というもので、人の水分は気がつかない間に汗となって蒸発してしまうことや、栄養分が体の中で代謝されるという事実です。これらの現代生理学の基本となる現象を初めて証明したのでした。

 サントリオの業績は大げさに言うと「医学研究に初めて物理学を応用した」ということになります。歴史上の知名度から言うと、同僚だったガリレオよりはるかに知られていないサントリオですが、医学・医療が発達する歴史の中で、彼の功績は多大なものであったと思います。


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 アメリカの大手総合情報サービス会社ブルームバーグが発表した「世界で最も健康な国々」ランキングで、日本は第5位でした。このランキングは幼児の平均寿命や成人の喫煙率など健康に関する各種指標を基にしたものです。実際に用いられたデータは国連、世界保健機関(WHO)および世界銀行の本年5月時点のもので、年齢グループ別の死亡率、喫煙率、飲酒率、血中コレステロール値、大気汚染レベルなどを組み合わせ、ブルームバーグが独自に点数化して比較しています。様々な事情により十分なデータが得られない国は除外されています。

 第1位はシンガポール、第2位はイタリア、第3位オーストラリア、第4位スイスの順で日本はこれらの国々に続いて第5位となっています。おおむね上位を占めるのが欧米諸国で、下位にアフリカ諸国が目立つ傾向にありますが、アメリカが第33位と先進国のなかでは低順位にとどまっています。その他、韓国は第29位、中国は第55位でした。ちなみに最下位の第145位はアフリカ南部のスワジランドという国でした。

 第1位になったシンガポールは世界でも最高水準といわれる医療システムを持ち、誰もが安心して受信できるような安価な診療費の設定と医療サービスの維持が考慮されています。また喫煙率もおおむね15%以下でこれらを考え合わせると第1位になったのも納得できるかも知れません。

 アメリカの第33位は、喫煙率などは高くないものの肥満大国と言われるように、いわゆる「メタボ」の人が多かったり、生活レベルによっては総合的に見た健康度には問題がある部分もあるようです。中国も同様で、地域によっては衛生状態が必ずしもよくない所があることから下位にランクされているのだと思います。

 ところで日本たばこ産業が発表した2012年のわが国の喫煙率は前年より0.6ポイント下がって21.1%だったそうです。健康意識の高まりやタバコ増税による10年の値上げなどの影響で17年連続で低下しています。政府は今後10年間で喫煙率を12%にまで下げる目標を掲げています。喫煙者には申し訳ないですが、喫煙はあらゆる病気の原因となりますので、一度は禁煙を試みられてはいかがですか。タバコ代の節約になりますし、なにより健康度をアップさせる第一の要因です。


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 医療の歴史(11)床屋外科でふれたように、古代から外科医は、医療者というより、刃物を使い人の体に傷をつけて血をあびて仕事をする人として卑しめられ不当に低い身分に見られていました。大学の外科学教授は学生に外科の講義はしますが、自ら刃物を持って手術をすることはなかったそうです。手術は医学に関する教養がない助手に実技をさせ、それを学生に見せるだけの存在でした。それが16世紀になるとそれが少しずつ変わり始めたのでした。この時、大きな功績を残したのがアンブロアズ・パレです。

パレは1510年フランス北西部のブルターニュ地方に生まれ、フランスに出て「床屋外科」に奉公します。大変な努力家で修業を積み腕をみがいたパレは、1537年フランス国軍のモントジャン将軍の軍医に抜擢されます。そして北イタリアの戦地に従軍して負傷兵の手当を行ったのです。その頃の戦争は、以前のように刀で斬りつけ合うのではなく、銃火器という新兵器が主力を占めるようになっていました。銃で撃たれた傷は刀で切られた傷口より大きくすぐに化膿していったのですが、それは火薬に含まれる「毒」のせいだと考えられていました。そこで銃創の治療は、火薬の毒を取り除くため、焼きゴテで焼いたり、煮えたぎる油をかけたりするのが当時の治療法でした。痛み止めなどない時代ですから、銃創を負った兵士はその恐ろしい治療の痛みと苦しみのため七転八倒したのでした。しかし傷口は治るどころかどんどん悪化していきました。

 ある時、パレはその銃創治療に使う油の手持ちを切らしてしまいました。しかし負傷兵はどんどん運び込まれてきます。困ったパレは、油の代わりに卵黄と油をまぜて軟膏を作り、負傷兵の傷口に塗ったのです。すると兵士の傷の痛みは軽く、腫れもひどくなく、いままでの治療では考えられないほど快復していったのです。いままでの治療は、負傷兵を痛めつけるだけで効果はない、軟膏による治療がよいことを知ったパレはその後、「銃創の処置法について」という医学書を著します。

 その頃、パリ大学の解剖学教授であったシルヴィウスは、パレの外科医としての実力を認め、解剖学を教えたのです。それまで基礎的な医学知識がなかったパレは、人体について学び医学者として実力を発揮することになるのです。さまざまな手術法の開発の他、包帯法の改良、義足など装具の開発など外科学にとって多大な功績を残したパレは、最終的にフランス国王シャルルの主席外科医という地位に登りつめたのでした。

このように外科学の地位はパレの昇進とともに徐々に上がっていきました。しかし本当に外科医が内科医と対等な立場になるのは、19世紀になってからのことです。19世紀に外科が画期的に発展するのはどのような事がきっかけになったのでしょうか。