医療あれこれ

医療の歴史(101) 初めて抗菌薬を作った日本人

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 世界で初めて抗菌薬を作ることに成功した仕事にかかわった日本人がいます。それは第三高等学校医学部(現在の岡山大学医学部)を卒業して、その当時、日本に流行の兆しがあったペストの研究をしていた秦 佐八郎です。ドイツの細菌学者パウル・エールリヒは秦の業績に目をつけて自身の研究所に留学してくるようにすすめたのでした。その留学中、エールリッヒと共同で、梅毒の治療薬として化学療法剤サルバルサンを創製しました。

梅毒はスピロヘーター(梅毒トレポネーマ)を病原体とする性感染症で、性行為によって伝搬される進行性の病気です。もともとコロンブスによって発見されたアメリカ大陸にあった風土病でしたが、コロンブス探検隊により欧州に持ち込まれたと言われています。しかしこれには多くの異論もあります。日本では欧州人が渡来する前の1512年に梅毒と思われる病気に関する記述があることから、直接欧州からではなく中国人や琉球人が持ち込んだものではないかとも言われています。日本では江戸時代後期に爆発的な流行があり、当時、来日中のポンペは「遊女屋に対しては厳重な医学的監督が必要である」などと述べています。以前は性感染症といえば梅毒が代表的な疾患でした。病原体の梅毒トレポネーマは通常の抗生物質が有効で、戦後発症数は激減していますが、2000年以降、再び増加する傾向にあるといいます。

この梅毒治療は最初、水銀を軟膏にして塗り付けるなどの今から思えばおそろしいことがおこなわれていましたが、当然のように水銀中毒が多発して、薬として使えないことが明らかになりました。これに代わって登場したのがヒ素化合物の一つであるサルバルサンです。エールリッヒの指示により、秦佐八郎は動物実験でこのサルバルサンが梅毒治療に有効であることを突き詰めたのでした。1910年、エールリッヒと秦は共同で梅毒治療薬サルバルサンについて学術論文に発表したのでした。

しかしこのサルバルサンは初期の抗菌薬発見としては医学史上重要な事柄ですが、ヒ素化合物であることから薬剤自体の副作用が多く、その割に効果が少ないため、後にイギリス人医師アレクサンダー・フレミングにより発見された抗生物質ペニシリンが現在では梅毒の治療に用いられるようになったのです。