医療の歴史(96)脚気論争~その4

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医療の歴史(96)脚気論争~その4

 江戸時代後期から死に至ることもある病気「脚気」の原因として、中毒説、感染症説、あるいは何らかの栄養障害説などの論争がありました。しかし最終的に高木兼寛が説いた「白米にはなく麦飯の中に含まれるなんらかの栄養分の不足」が脚気の原因であるという事実にたどり着いたのですが、森林太郎などの東大医学部派は頭からこれを否定して、ビタミンB1の不足が脚気の原因であるという結論に至らないまま時間が過ぎてしまいました。

suzukiumetaro2.jpg そのような状況下で、東大農学部教授だった鈴木梅太郎が米糠の中から脚気に効く物質の抽出に成功したのでした。1910年のことです。鈴木はこの物質をオリザニンと命名し、東京で開催された学会で報告し、論文を発表しています。しかしその論文は日本語であり、ドイツ語学術雑誌に発表するとき翻訳が十分ではなく正確な鈴木の成績が伝わらなかったこともあり、この大発見は世界に認められることはありませんでした。

 その間に、医療の歴史(95)でご紹介したエイクマンの発見からポーランドの生化学者カシミール・フンクにより米糠から精製された鈴木のオリザニンと同じ物質を「ビタミン」として発表してしまいました。ビタミンは生命活動(vital)をつかさどるアミン(amine)ということから命名されたものですが、実際には脚気に有効なビタミンはビタミンB1であり、その後10数種類のビタミンが発見されています。

 ビタミンを最初に抽出・発見したのは日本人鈴木梅太郎ですが、世界的にみてビタミンの発見者はエイクマンやフンクとされています。日本に多くの脚気患者がいて、その原因は栄養分の障害ではないかというところまでたどり着き、物質まで抽出に成功しているにもかかわらずその業績は世界的に認められていないのです。これにはもちろん言語の問題から論文報告が遅れたこともあるでしょうが、医学の主流を占めていた東大医学部系のやや柔軟性に欠けるその当時の研究姿勢もあったのかも知れません。