医療の歴史(135) ノーベル賞を逃した山極勝三郎

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医療の歴史(135) ノーベル賞を逃した山極勝三郎

 2021年のノーベル物理学賞は、地球温暖化に関する理論の第一人者で、アメリカ国籍の日本人ブリンストン大学の眞鍋淑郎氏の受賞が決まりました。第二次世界大戦終戦直後1949年京都大学の湯川秀樹氏が日本人で初めてノーベル賞受賞者となって以来、29人目にあたる日本人の受賞です。医学医療関係でも、これまでに利根川進、山中伸弥、大村智、大隅良典、本庶佑という5人の先生方が受賞しています。しかしこれらの人々が毎年ノーベル賞候補に挙がり普通に受賞されてくるようになったのは1980以降のことです。第二次世界大戦前では、世界的に優れた業績をあげ受賞候補になりながら受賞を逃した人々が多数いました。例えばペスト菌を発見し「近代日本医学の父」とたたえられた北里柴三郎、黄熱病の研究中アフリカで亡くなった野口英世、あるいはビタミンB1の単離をした鈴木梅之助など多くの研究者が受賞を逃しています。今回の話題である病理学者の山極勝三郎もその一人でした。

 山極は1986(文久3)、現在の長野県上田市に生まれドイツ語を学びながら東京大学医学部を首席で卒業しドイツに留学、細菌学のコッホ、病理学のウィルヒョウという二人の大家に師事し病理解剖学を学び、帰国後東京大学医学部教授としてガンの発生に関する研究で第一人者となりました。

 ガン(悪性腫瘍)は現在の日本においては死亡原因として圧倒的多数を占めるもので、その発生原因はある程度解明が進んでいます。しかし山極が東大で研究を始めたころは、感染説や刺激説などが想定され原因究明のための道筋も暗中模索の状態でした。そのころから煙突掃除夫に皮膚ガンの発生が多いことに着目した山極は、動物実験としてウサギの耳にコールタールを毎日塗り込むという地道な作業を繰り返し、3年以上にわたって反復実験をおこない、1915年ついに人工ガンを発生させることに成功したのでした。1925年、1926年、1928年、1936年の4度にわたってノーベル生理学・医学賞にノミネートされましたが選ばれることはありませんでした。その当時、山極と同様のガン発生実験をおこなって成果を出していた研究者はノーベル賞を受賞しているのに、それらの先駆けとなった山極は最後まで受賞からもれてしまっていました。選考委員会で委員からは「東洋人にはノーベル賞は早すぎる」という発言があったことが記録に残っているそうです。