医療あれこれ

医療の歴史(112) パーキンソン病

 厚生労働省指定の難病の一つにパーキンソン病があります。この疾患は、中年以降に発症し、安静時の振戦(細かい手のふるえ)、動作がゆっくりな寡動~無動、診察で関節を動かそうとすると抵抗がある筋固縮、さらにバランスを崩して倒れないように前傾姿勢になるといった症状が見られます。原因は中枢神経のうち大脳の下部にある中脳の黒質から分泌されるドパミンの不足によるものです。薬物治療としては、この不足しているドパミンを補充するためのL-ドーパー製剤の投与が基本でした。しかし長期間薬を続けると、次第に症状のコントロールが難しくなる問題があります。そもそもこの薬物治療では、中脳黒質に対する根本的治療ではないことから難病として指定されているのです。最近、パーキンソン病に対する根本的治療として、人工多能幹細胞(iPS細胞)から脳の神経細胞を作り、患者さんの脳に移植する治療法の治験が京都大学で開始されるという報道がありました。(読売新聞 2018730日)これが早く一般的治療として普及することを望みたいものです。


18-08Parkinson.jpgところでパーキンソン病という名称はこの神経疾患を初めて文献として公表したイギリス人医師ジェームス・パーキンソンにちなんで命名されたものです。パーキンソン医師は6人の振戦がある症例を報告したことがパーキンソン病研究・臨床の第一歩だったと多くの医療者は理解しています。しかしどうやらパーキンソン医師が自分自身で診療していた患者さんに特徴的な症状があり、それを詳細に検討して症例報告として学術誌に論文として公表されたものではないようです。

1817年、英国ロンドン市内の開業医だったジェームス・パーキンソンが「振戦麻痺に関するエッセイ」(右図)という表題で発表したのですが、その時、同じような振戦の症状があり、前屈姿勢で動作が緩慢な3人の患者さんを診療していました。そして彼が街なかを観察していると、同じような体の動き方で歩いている人がいることに気付いたのです。自分が診療している3人の他に、少なくとも3人の人を発見したのでしょう。変わった動作をしている人がいるものだとエッセイに記したのでした。発表された時、このエッセイに興味をもった医療者や一般の人はあまりおらず、長い間この疾患が注目されることはありませんでした。それから70年以上経った1888年、フランスの神経病理学者のシャルコーによって再評価され、最初の報告者の名前をとってパーキンソン病と呼ばれるようになったのでした。