医療あれこれ

医療の歴史(92) 明治初期の医療事情

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 明治政府の医療制度整備方針について、東京では現在の東京大学が、政府機関であり医師養成機関でありさらに医療機関であるという東京大学医学部中心の制度が形成されていったことはすでに述べました(医療の歴史88。しかし全国各地に近代的病院を開設して国を挙げて医療制度を完備していく必要があります。1870年代の後半には行政改革で廃藩置県が実施され、これに伴って廃止された病院の再生がすすみ、ほとんどの府県に公立病院が誕生していきました。一方で私立病院の開設も進み1882年で全国の病院数は626を数えたといいます。しかしその当時は現在のように医療保険制度が確立されているわけでなく、官立、公立の大規模病院で診療を受けられるのは富裕層に限られ、一般庶民への医療は開業医によるものでした。

 また医師養成について明治政府は医療の近代化を目指し、医学教育と医師制度を整備していき1874年、全76条からなる医制が公布されました。その中で医師になるためには国家試験に合格する必要があると明記されています。当初はその時点ですでに医療活動をおこなっていた医師も当然、国家試験を受験し直してこれに合格し国家として医師という身分を認めることが考えられていました、しかし多種多様な経歴と年齢をもつ全ての医師が簡単にこの国家試験に合格するとは考えにくいものです。またその時、全国で開業している医師数は西洋医師が約5,200人、漢方医は約23,000人であり圧倒的に漢方医が多数を占めていました。しかも漢方医にとって西洋医学の知識を問われる医師国家試験に合格することはかなり難しいことから、制度発足と同時に全国的な医師不足となることは明らかでした。そこで既存の医師、漢方医については一定の書類提出により無試験で医師開業免許が付与されるという過渡的措置が採用されることになったのです。ただし新規に医師となるためにはたとえ医家の子弟であっても新たに国家試験合格することが当然必須の条件となりました。

 このような状況から、政府の原則としては漢方医を排し西洋医学を中心に医療をすすめるという新制度は最終目標ではありましたが、現実的には漢方医を全て排除することは難しく、一般庶民の生活の中では伝統的な医療は存在し続けたのです。つまり漢方医による漢方薬処方や鍼灸治療は日常の大切な医療行為です。さらにこれに留まらず古来より伝えられてきた宗教者による病者に対する加持祈祷はその後も患者のよりどころとなっていました。