医療あれこれ

医療の歴史(7) レオナルド・ダ・ヴィンチと解剖図

 古代ギリシア、ローマ時代の文明発展の時代が過ぎ、その後のおおよそ67世紀のヨーロッパはキリスト教のカトリック教会隆盛の影響を受けて、芸術や文化がすっかり停滞してしまった時代が続きました。暗黒時代などと呼ばれていますが、教会の精神に反するような新しいことを試みることが許されなかったのです。医学の世界も同様で、医療の歴史 (4) で紹介したローマ時代のガレノス医学が神聖で侵すことができない絶対的なものとされていたため、新しい医学研究などは全く行われませんでした。たとえば人体の内部構造についての知識は教会が人体解剖を許さなかったものですから、ガレノスの述べたことを盲目的に信用していく他に道はありませんでした。

 しかし13世紀を過ぎたころからカトリック教会は少しずつ人体解剖を認めるようになりました。この頃の(あるいはこれより以前からという説もありますが)新しい時代を「ルネサンス」と呼ばれているのはご存じの通りです。「ルネサンス」という言葉は復興、再生という意味だそうですが、暗黒時代に別れを告げて、古代ギリシアやローマの活気にあふれた学研精神を取り戻そうとする意識ととらえることができると思います。

leonardo.jpg ルネサンスを代表する最大の芸術家の一人であるレオナルド・ダ・ヴィンチ(14521519)は「ミロのヴィーナス」や「最後の晩餐」など有名な絵画の作者であることはいうまでもありませんが、芸術家だけではなく 工学や医学・生理学の改革者でもありました。真実を自分の眼で確かめてそれを正確に表現しようとしたのです。彼が残した人体解剖図(右の図)は、ただ詳細に描かれただけでなく、それまでの解剖書とは全くことなり、人体の構造を遠近法を取り入れた立体的な図として描写してあります。

 ただ残念なことにレオナルド・ダ・ヴィンチの解剖図は医学的発展に寄与した部分は多くありませんでした。彼は事実をありのままに表現することに興味があり、詳細な人体構造が、人の身体機能や病気の発生にどのようにかかわってくるのかという点にはあまり興味がなかったようです。

 ルネサンス以後の医学の発展に最大の貢献をした人はダ・ヴィンチより後に活躍したヴェサリウスという人です。このことは次回の医療の歴史で紹介します。