医療あれこれ

医療の歴史(21) 外科手術の発展

 これまでにふれた外科の歴史を整理しておきます。まず外科と内科の違いは、手術をして体の悪いところを切り取ったりして治療するのが外科で、お薬などにより病気を治すのが内科です。昔は刃物を使って血を浴びて仕事をする外科医は、内科医より身分が低いと考えられていました。その外科医の地位を高めたのは、医療の歴史(13)でご紹介したアンブロアズ・パレ(15171590)です。しかし彼の業績を以てしても、外科に従事する人は医師というより職人という印象で見られていたと思います。

 あたりまえのことですが、刃物で体に傷をつけると大変痛いので、手術はできるだけ手際よく短時間に済ますことが求められました。有名な外科医とは(手塚治虫のブラック・ジャックのように)すばやく手術をする人だったのです。当時の外科手術の様子はおそらく次のようなものだったのでしょう。手術台に乗せられた不安でいっぱいの患者さんは、手術が始まると体を切られる痛みのために絶望的な悲鳴をあげて暴れまわります。それを力持ちの何人かの助手が一斉に押さえつけている間に手術を終わらせるのでした。術者やその助手たちには耳栓が必要でした。患者さんの悲鳴が聞こえないようにするためです。ethelOP4.jpg

 患者さんの痛みをなくした状態で、慎重に手術をする無痛手術ができないものかが、長年の外科医の夢でした。それを実現させたのが、ウィリアム・モートン(18191868)です。彼はマサチューセッツ総合病院でエーテル麻酔の公開実験を行いました。18461016日のことで、外科にとって最も記念すべき日となりました。そしてその公開手術が行われた部屋は「エーテル・ドーム」として今でもマサチューセッツ総合病院に残されています。モートンの無痛手術の成功は、またたく間にアメリカからヨーロッパに伝えられ、麻酔による外科手術が行われるようになりました。

 しかし、これで外科手術の心配事は全て解決されたか、というとそうではありませんでした。麻酔手術により大胆な手術が行われるようになったのですが、手術のあと感染症で体が腐ってくる脱疽が激増したのです。ナイチンゲールが活躍したことで有名なクリミア戦争(18541856)では、戦死者1万人に対して、戦傷により手術を受けその後亡くなった戦病死者が8万人にのぼりました。手足に傷を受け手術をした人としなかった人の死亡率はほとんど同じだったのです。術後感染症の克服というもう一つの難問題が残されたのでした。

 ところで、モートンの麻酔による手術より40年以上前に全身麻酔での手術を成功させた人がいました。その人は日本の華岡青洲(17601835)です。1842年、マンダラゲ(チョウセンアサガオ)を調合した「通仙散」を用いて全身麻酔を行い、彼の妻にできた乳ガンの摘出手術を行ったのです。しかし時は鎖国中の江戸時代。世界に向けて発表することのなかった彼の業績は、西洋医学の歴史に刻まれることはありませんでした。