医療あれこれ

医療の歴史(20) 天然痘撲滅への道

 天然痘は疱瘡あるいは痘瘡ともいわれ、18世紀まで不治で致死的な病と恐れられていました。原因は、天然痘ウイルスが空気中から、あるいは病気の人と接触することにより感染するものでしたが、死亡率は30%40%とされ、もし生きながらえたとしても、皮膚の障害などが一生残るもので、18世紀のヨーロッパでは、全人口の三分の一の人が天然痘の後遺症を持っていたとされています。


 jenner.jpgこの恐ろしい天然痘を予防し撲滅する道を開いたのが、イギリス人エドワード・ジェンナー(17491823)でした。その当時、天然痘にかかった人でも幸い軽症ですんだ人は二度と天然痘にはかからないことが知られていました。また人に発病する天然痘が牛や豚などの家畜にもみられ、牛痘と言われており、酪農家で牛痘にかかる人もいましたが、人の天然痘のように致死的でもなく、そのあと天然痘に感染することもありませんでした。これらのことに注目したジェンナーは、天然痘や牛痘に一度かかると、今で言う天然痘に対する免疫ができるのではないかと考えたのです。ある時、牛痘にかかった酪農家の女性の皮膚から膿を採取し、人に接種することを決意します。接種を受けたのはジェームス・フィリップスという8歳の少年で、ジェンナー家の使用人の息子でした。少年の皮膚に傷をつけ、そこに牛痘患者から採取した膿を接種しました。そして12ヶ月のち、今度はその少年に天然痘の患者から採取した膿を投与しましたが、フィリップス少年は天然痘にかかりませんでした。1796年、この歴史的な人体実験が行われたのです。医療の歴史(19)で、ルイ・パスツールによるワクチン開発をご紹介しましたが、それより90年も前のことです。ワクチンによる予防接種を確立していったのはパスツールですが、世界で最初に予防接種を成功させたのはジェンナーということになります。ワクチンという言葉は当時、牛痘の事を「ワクシニア」と呼んでいた事から、後にパスツールがジェンナーに敬意をはらって命名したといわれています。

 その後、このジェンナーにより開発された天然痘予防法、すなわち種痘法は初めのうちは世間で受け入れられませんでしたが、次第にヨーロッパ中で行われるようになり、天然痘患者は激減して行きます。1977年、最後の天然痘患者が報告されて以来、世界中で天然痘は完全に撲滅されます。1980年、世界保健機関(WHO)は天然痘撲滅宣言を発表しました。ジェンナーの人体実験から200年余り後のことでした。天然痘ウイルスは今後の研究のためにと、アメリカとロシアに保管されているそうですが、一般社会には存在しません。

 なお、ジェンナーは自分の息子を使って最初に牛痘ウイルスを接種し、種痘法を開発したと伝記に書かれていることがありますが、実際は自分の息子を使った人体実験は成功しませんでした。最初に人体実験に成功した被験者のフィリップス少年に対して、ジェンナーは深く感謝し、家一軒を贈り、生涯友好関係を持ち続けたそうです。