医療あれこれ

医療の歴史(129) タスキギー事件

 医療の発展のためには実際に病気の人を対象にした臨床研究がどうしても必要です。当然、今ならその臨床研究をおこなうためには、実験材料として使われる病気の人など実験対象に研究の詳細を理解し同意してもらうことが必要です。ところがアメリカにおいて考えられないような不法な人体実験が1932年から40年間にわたって公然とおこなわれました。

 研究対象となったのは梅毒という性感染症です。梅毒は今では発症頻度は少なくなりまた治療法が確立されていますが、性行為によってスピロヘーターという微生物(梅毒トレポネーマ)が感染して発症するもので、性感染症を代表する疾患でした。第1期から第4期まで10年以上にわたって症状が進行し最終的には脳にまで感感染が拡がっていく放置すれば予後が悪い疾患です。

患者に梅毒という病名が告げられず何の治療も施されずに自然経過が観察されたのでした。アメリカのアラバマ州にあるタスキギーという所はアフリカ系アメリカ人黒人が多く在住する場所でした。この研究に臨床対象として参加した人には食事その他全ての生活必需品が提供され、体の不調に対する治療は無償で受けられる、診療所までの交通費なども全て支給する、といった約束で人が集められました。1930年過ぎは世界的な大恐慌の時代で、下層階級の人々はまともな生活がでない時代だったので食事が提供され、病気の治療も無償で受けられるという話は見た目にはこの上ない好条件でした。600人の黒人男性が集められ、このうち399人は実際に梅毒感染があると診断されましたが、その結果は一切説明されませんでした。

 1947年には梅毒に対して抗生物質のペニシリンが有効であることが明らかとなりましたが、この実験対象者に投与されることはありませんでした。経過中に治療と称して薬剤が投与されたこともあったのですが、すべて偽薬(プラセボ)で本物のペニシリンは一切使われませんでした。また他の病気に罹患した時も別のところで独自の治療を受けることは厳しく禁止されました。もし勝手なおこないをすれば、その時点で食事を含む生活必需品の提供を停止すると告げられていました。

 この人体実験が明らかとなったのは内部告発で、1972年にニューヨークタイムズ一面に掲載されたのでした。実験は中止され、集団訴訟で1000万ドルの和解金が支払われましたが、当初の患者399人のうち梅毒およびその関連疾患に耐え生き残ったのはわずか74人でした。

 この事件発覚を契機として、医療倫理における「インフォームド・コンセント」が公のものになりました。つまり臨床研究に対象者として参加する人は、実験の詳細について説明を受け、もし体の不調が発生した時は適切な治療がおこなわれること、研究途中でも自由に離脱することができるなど全てに同意することが求められるといった現在では常識の取り決めが進んでいったのです。