医療あれこれ

医療の歴史(127) シュレンドルフ事件

 アメリカ人メアリー・シュレンドルフは胃の不調を訴え、19081月に診断、治療のためニューヨーク病院へ入院しました。おそらく腹部症状の原因がすぐには明らかにならなかったのでしょうが、数週間後、主治医は子宮筋腫があるのではないかと診断しました。招聘医師である主治医は腫瘍の切除手術を提案しましたが、シュレンドルフはこの腫瘍摘出手術を断固拒否しました。しかし確定診断のため腫瘍の一部を組織診断のため切除することには同意したため、エーテル麻酔下で試験開腹手術がおこなわれました。シュレンドルフが同意したのは検査のため組織の一部を採取するだけであり、腫瘍摘出は一切しないようにと要求していましたが、主治医は腫瘍の全摘出手術をしてしまったのです。その後、シュレンドルフの術後経過はおもわしくなく、血栓形成傾向から左腕の循環障害から手の先が虚血性壊疽となり、最終的には指の切断を余儀なくされたのでした。シュレンドルフは腫瘍摘出手術が知らないうちに実施されたことが発端でこのような状態になったとして、このような主治医を雇用している病院に責任があるとニューヨーク病院に対して訴訟を起こしました。

 裁判は1914年にシュレンドルフの勝訴となったのですが、担当判事のベンジャミン・カードゾーは、この担当医師は、麻酔による腹部検査に患者が同意した後で子宮筋腫の摘出をしたが、患者は手術を一切しないように強く要求していました。にもかかわらず招聘医師(非常勤?)である担当医らが病院の施設を使って不法行為をしたとして病院の管理責任に絞って裁判を進めました。つまりここでは患者の自己決定権が侵害されたなどというようなことには触れていません。カードゾーの意見としては「成人に達し健全な精神をもつ人は、自分の身体に何がなされるべきかを決定する権利がある。従って、患者の同意なしに手術をした担当医は暴行を犯したことになり、その損害の責任を負う。」さらに「患者は医学的にいかに治療されるかを選択して身体の不可侵を守る権利がある。」と述べています。

 この裁判例の時点では、後に考えられる患者の「自己決定権」や、担当医が状態を詳しく患者に説明して、処置をおこなうことに同意を得る、ということの具体的な用語は一切述べられていません。しかし40年後には明らかにされてくるインフォームドコンセントの考え方が初めて示された事例でした。