医療あれこれ

医療の歴史(118) 夏目漱石の病気

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 先日、紙幣の肖像人物が更新されるというニュースが新聞、テレビで公表されました。そのなかで1000円札にはこれまで夏目漱石が用いられていましたが、新しいお札では日本における近代医学の創始者として知られる北里柴三郎が採用されることになったそうです。北里柴三郎については、本項ではすでに2回連続で採り上げてご紹介していますが、(医療の歴史97医療の歴史98 ←クリックしてご覧下さい)今更ですが、今回はその肖像が現在の千円紙幣に1984年から採用されていた明治の大文豪である夏目漱石の病気についての話題です。

 夏目漱石は1867年(慶応3年)、東京(江戸)に生まれ、明治時代を通して日本を代表する文学者として活躍し、1916年(大正5年)49歳で亡くなっています。当時の平均寿命は50歳未満であったとされ、漱石の寿命がこれだけでは早死だったのではないのでしょが、新生児死亡率の高さにより平均寿命が短かった明治・大正期の人口統計からすると、決して長寿だったとはいえません。同時期の日本の文学者の享年をみても、森鴎外が60歳、島崎藤村71歳、坪内逍遙75歳などと比べても短命であったことは間違いないでしょう。このことからも漱石の存命中はさまざまな病気に悩まされていたことが想像できます。

漱石の親友だった正岡子規は病弱であったことが知られ34歳で肺結核のため亡くなっています。当時の文学者では樋口一葉、石川啄木などが肺結核のため20歳代で亡くなっていることはご存じの通りです。また漱石の長兄は30歳で、次兄は28歳でそれぞれ結核のため亡くなっていることなどもあり、漱石自身は一生を通じて結核という感染症に罹患することを恐れていたといいます。戦前の日本人の死亡原因として肺結核は常に死因1位、2位を占め、結核菌感染が蔓延していました。有効な抗結核薬が一般に使用可能となったのは戦後のことで、当時は結核に罹患すると患者本人の体力、免疫力により結核菌を克服するための長期間の療養が必要でした。しかし漱石が結核に罹患したことはなかったようです。

漱石を襲った感染症としては、乳幼期3歳の時、致死的なウイルス感染症の痘瘡(天然痘)罹患がありました。天然痘は致死率が50%にも達する致死的な疾患でたとえ死亡を免れたとしても皮疹の痕跡が顔面に残り、このアバタ顔が痘瘡罹患の既往がある人たちを悩ませていました。漱石の肖像写真にはそのような徴候は見られませんが、できるだけアバタ顔が目立たないような写真を選んで用いていたそうです。なお天然痘ウイルス自体は、1796年ジェンナーによる種痘法開発以来、全世界的な天然痘の予防・撲滅活動により、現在自然界のウイルスは完全に撲滅されています(医療の歴史20参照)。

夏目漱石を生涯にわたり悩ませていた病気は胃疾患で、常に胃痛を訴えていました。この原因の一端となったのは、自身でも著述している精神的な抑うつでした。このことについて続きを次回公開します。


引用:山崎光夫 胃弱・癇癪・夏目漱石 講談社