医療あれこれ

善きサマリア人について考える

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 ある人がエルサレムからエリコに下っていく途中、強盗どもが彼を襲い、その着物をはぎ取り、傷を負わせ、半殺しにしたまま、逃げ去りました。するとたまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきましたが、この人をみると向こう側を通って行ってしまいました。同様に、レビ人もこの場所にさしかかってきましたが、かれを見て向こう側を通って行ってしまいました。ところが、あるサマリア人が旅をしてここを通りかかり、被害にあった彼を見て気の毒に思い、近寄ってきてその傷にオリーブ油とブドウ酒を注いで包帯をしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱しました。翌日、デナリ二つを取り出して宿屋の主人に手渡し、「この人を見てやって下さい。費用がよけいにかかったら、帰りがけに私が支払います」と言いました。誰が強盗に襲われた人の隣の人になったと思いますか?

 この言葉はイエスの「隣の人を愛する」善行を示すものとして新約聖書、ルカによる福音書第10章に書かれている文章です。苦しんでいる人に善行をつくすのは人の道です。しかし良かれと思ってしたことが、悪い結果を生じてしまったこともよくあるでしょう。その時、その行為をした人に責任を負わせるという風潮が最近よく見られます。特に医療の世界では人の命がかかっていることが多いのでよく問題となります。以前に、飛行中の機内で突然、胸痛で苦しみだした人がいて、「搭乗客の中に医師がいれば診てあげて下さい」という客室乗務員の要請で診察した医師がいましたが、胸痛で苦しんでいた人は結局、心筋梗塞で亡くなりました。すると何とその遺族は診察した医師を訴えることになったのです。

 イギリスやカナダには「善きサマリア人法」という法律があって、善行をした人が裁かれることがないような法整備があります。日本にもさまざまな法律を解釈すると同じ意味になるような仕組みができていますが、具体的な「善きサマリア人法」のような法律の整備が望まれるところです。