医療の歴史(115)本邦初のペスト流行

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医療の歴史(115)本邦初のペスト流行

 ペストは、ペスト菌に感染したネズミに流行するものですが、ネズミの血を吸ったノミに刺された人に感染が広がります。かつて感染者は皮膚が黒くなり死に至ったことから「黒死病」と呼ばれていました。医療の歴史(6)でご紹介したように14世紀のヨーロッパでは流行を繰り返し、おおよそ2500万人が死亡し、全人口の半分近くを失ってしまったのです。

 このペストが初めて日本に入ってきたのは、1986(明治29)のことでした。香港から横浜港に入港したアメリカ船に乗っていた中国人の患者が、日本入国後、横浜の中国人病院で亡くなりました。根岸墓地に埋葬されたのですが、生前の症状からペストではないかと疑われ、墓を掘り返し、遺体を検査したところペストと診断されたのでした。このころ中国雲南省から始まったペストの流行は広東省から、人口密集状態にあった香港で2000人を超える死亡者が出ていました。明治政府は貿易体制を強化し、その後数年間はペスト患者は確認されていませんでしたが、1899(明治32)以降、台湾から帰国した日本人がペストで死亡し、わずか2か月の間に全国で45名の患者が発生し、40名が亡くなりました。

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 上述のようにペストはネズミが媒介することから、20万匹のネズミを捕獲する対策が立てられました。ネズミを捕まえて提出すると一匹あたり五銭で買い上げることにしたのです。その結果、1年間で300万匹のネズミが捕獲されたのでした。駆除された大量のネズミを供養するため東京渋谷区の祥雲寺の墓地に鼠塚が建てられました。この時の騒動は夏目漱石の「吾輩は猫である」にも描かれており、「吾輩の仕事であるネズミ退治で捕まえてきた成果物を、主人は取り上げて五銭で売って儲けている」という猫の嘆きが出てきます。

 その後、ペストは1907(明治40)に全国で646人の患者発生数をピークに、発生数は徐々に減少し、1930(昭和5)2名の患者発生を最後に、日本のペスト発生は終焉を迎えたのでした。

参考文献:酒井シズ、病が語る日本史(講談社学術文庫)