医療あれこれ

医療の歴史(37) 帰化人による医療の伝来
2014年4月26日

 医療の歴史(35)(36)で、古代日本における医療の始まりは、適切な医療を行うことができる者が首長となって国をおさめる資格を持つこと、また大国主命、少彦名命の二人は日本の医療神として祀られていることをご紹介しました。

 しかし首長が医療の責任者であると、流行性疾患が広がったとき、これに対する処置の失敗が首長の責任となる可能性もあります。そこで時代とともに首長のもつ権限から呪医的な職能を分離して、別の医療専門集団を作るようになってきました。こうして大和朝廷の中には、医療と祭祀を専門とする氏族が生まれてきます。医療と祭祀は必ず一体のものであったようです。病は神のたたりと信じられており、これをしずめることが必要であると同時に、病気になると心の安らぎを得るため神に祈ることが大切な手段で医療の基本であったと考えられます。
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 さて医療専門職であるからには、常に新しい医療の方策を追求していくことになりますが、その中で帰化渡来人が大陸、朝鮮半島から日本に入ってきます。半島における新羅(しらぎ)、高句麗(こうくり)、百済(くだら)の三国のうち古代日本と特に関係の深かった百済からの帰化人は、古代日本の医療に多大な影響を与えました。百済から派遣された「医博士」による医学教育は、古代日本の医療技術を底上げしてその後、朝廷内での医療官司を確立していくのでした。なお、4世紀から5世紀における百済と古代日本(倭と呼ばれていた)との関係は、中国の吉林省にある写真の好太王碑(こうたいおうひ)の碑文に貴重な史料として確認ができるそうです。




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