医療あれこれ

医療の歴史(23) 細菌学の確立~コッホ

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 これまでの医療の歴史で見てきたとおり、パスツールによる微生物が自然発生することの否定、ジェンナーやパスツールによるワクチン開発、さらにリスターの消毒法開発など、徐々に細菌などの微生物が病原体となって発生する感染症克服への道は切り開かれて行きました。しかし伝染病にかかった生体には細菌という微生物が確かに存在することが明らかにされても、その細菌が伝染病そのものの原因かどうかということについては明確ではありませんでした。その難問を見事に解決したのはドイツの一地方で医師をしていたロベルト・コッホ(18431910)でした。

 コッホはウォルシュタインというドイツの田舎町の診療所で、医療に従事していました。その地方では羊に炭疽病という原因不明の病気が流行していて、一つの村の羊が全滅するような事態が起こっていたのです。死んだ羊の血液中から糸状の細菌が発見されていましたが、これが炭疽病の病原体であるという証明はできていませんでした。コッホは炭疽病で死んだ羊の血液をネズミに接種してみたのです。するとそのネズミは(コッホの予想通り)死んでしまいました。さらに試行錯誤を繰り返して、その炭疽病で死んだ羊の血液中に存在する微生物を培養することに成功します。そして培養された微生物を別のネズミに接種すると、ネズミは炭疽病に罹患し死んでしまうことが確認されたのです。その微生物は炭疽病の病原菌であることが証明され炭疽病菌と命名されました。

 コッホが実験した一連の手技は「コッホの三原則」として今でも通用する理論です。つまり、①伝染病に罹患した生体には特定の病原体が存在する、②その病原体は生体外で分離・培養される、③その分離・培養された病原体で別の生体にその疾患を再現することができる、というものです。

 コッホはこれらの業績が認められ、ベルリンの国立衛生院研究室の主任に迎えられました。そして次々と感染症の病原体を同定して行きます。なかでも最も衝撃的な発見は結核菌の発見でした。大昔から人類は死の病「結核」に苦しめられていましたが、18823月のベルリン医学会でのコッホによる「結核菌発見」の報告は、人々に世界はこれで結核から逃れることができると期待を与えたのでした。

 しかし、病原体が確認されても、即その感染症が克服されるわけではありません。治療法の開発というさらなる道程が必要なのです。人々の期待に応えようと、コッホは結核菌の培養液から結核の治療薬として「ツベルクリン」を作り出します。ところが残念ながらツベルクリンは結核を治す薬ではないことが判りました。しかしこれはコッホの名声を汚すものではありませんでした。ツベルクリンは今でも結核の診断に用いる「ツベルクリン反応」の試薬として使用されています。

 結核菌のほか、やはり死の病であるコレラの病原体コレラ菌も発見したコッホは、ベルリン大学の教授に迎えられ、ここで多くの弟子たちを育てていきます。日本の北里柴三郎もその一人です。

 これまでご紹介したフランスのパスツールとドイツのコッホ、この二人は「近代細菌学の父」と呼ばれています。そしてこの両巨頭のグループはお互い闘争心に燃えて切磋琢磨しながら医学の発展に貢献して行ったのでした。