医療あれこれ

医療の歴史(83) 世界初の麻酔手術

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 外科手術発展の歴史で、無痛手術の実施と術後感染症の制御は2つの重要課題でした。医学史上、最初に無痛手術を実現させたのは1846年マサチューセッツ総合病院でエーテル麻酔の公開手術を成功させたウィリアム・モートンとされています。しかしそれより40年以上前に全身麻酔で乳ガンの手術を成功させた日本人がいました。それが華岡青洲(はなおかせいしゅう)です。青洲は紀伊の医家の長男に生まれ、23歳のとき京都にでて本道(内科)を古方派の吉益南涯(よしますなんがい)に、外科を大和見立(やまとけんりゅう)にそれぞれ学んで帰郷しました。

 青洲は外科診療に励むかたわら、外科手術を確実におこなう方法として麻酔薬の研究にいそしんでいました。主として整骨医が痛み止めに使っていたマンダラゲ(チョウセンアサガオ)や、トリカブトを調合した麻酔薬を犬・猫などの動物に投与する実験をくり返しおこない、20年の時が過ぎついに「通仙散(つうせんさん)」という麻酔薬を作り上げたのです。しかしこれを人の手術に使用するためには実際に人に対してさまざまな量の「通仙散」を投与し、効果が確実でしかも安全な投与量を決める必要があります。この実験台となることを自ら申し出たのは青洲の母と、妻でした。少量の投与量から実験を開始し繰り返して実験をおこなった結果、有効な投与量を見出すことができたのですが、それまでに繰り返された実験が原因で母は衰弱死し、妻は副作用で失明してしまったのです。青洲の「通仙散」はこれらの大きな犠牲の上に完成されたものでした。

 ほどなく一人の患者が診療を受けるために青洲を訪ねてきました。60歳の女性で、各所の医家を受診したのですが診療を断られたといいます。青洲が診ると明らかな乳ガンでした。当時、女性の乳房は急所であり、これを切除するとその女性の生命は絶たれると信じられていました。青洲は覚悟の上でこの女性に「通仙散」を服用させ全身麻酔による乳ガンの摘出手術を実行したのです。1804年のことでした。手術は成功裏に終わりましたが、明らかに進行した末期の乳ガンと思われるこの女性は、4ヶ月後に亡くなってしまいます。しかし全身麻酔による無痛手術自体は大成功で、華岡青洲の名声は全国に伝えられ、受診する患者や弟子入りする医療者があとを絶たなかったといいます。

 しかし時は鎖国中の江戸時代。世界に向けて発信することのなかった華岡青洲の業績は、時を経ず西洋医学の歴史に刻まれることはなく、この偉業が世界的に評価されたのは明治時代になってからのことでした。