医療あれこれ

医療の歴史(5) 中世の医療

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 ローマ時代における医学・医療の偉人ガレノスの死から1世紀後、ヨーロッパはキリスト教の広まりが著明となってきました。それまではギリシア神話に登場する神々が人々を癒す象徴でしたが、紀元300400年頃になるとイエス・キリストが苦しむ人々を癒す神となったのです。なかでも修道院は病気の人に治療をほどこす医療施設になりました。ヨーロッパにおける病院の始まりです。(右の図)貧富の差なくすべての人々を救うというキリスト教の精神はそのまま修道院における医療の精神でした。初めは看護や介護が主体でしたが、次第に修道院の中に独自に造られた薬草園で生産された医薬品を使ったり、手術のような治療も試みられるようになったのです。

 しかし、修道院での医療者の功績は、それまでの医学的知識を後世に伝えていったことです。古い医学文献を収集し、忠実に書き写して保存するという医学図書館のような存在となって行きました。これによりヒポクラテスの精神が現在でも知られ、ガレノス医学が千年以上にわたって実践の医療として伝承されていったのです。さらに彼らは、自分たちの医療を受け継ぐ後輩たちを育成する使命を負っていると考えており、この精神が医学校の始まりにつながって行きます。

 10世紀ごろ、南イタリアの保養地サレルノという場所に医学校ができました。ここでは修道院で収集され整理された古代ギリシアやローマの医学が講義されていました。そしてサレルノ医学校の名声はヨーロッパ中に広がり医学全体を支配するようになります。さらに時代は下って12世紀になるとボローニャ、パリの大学にそれぞれ医学部が作られ、医学教育がさらに拡大していきます。しかしここで講義されていたのは、相変わらずガレノス医学のような古代の医学でした。中世の医学・医療は他の科学領域と同じく古い知識の盲信であり、中世は停滞の時代であったといえます。近代医学が大きく発展するのは、レオナルド・ダ・ヴィンチに代表されるルネッサンス期まで待たなければならなかったのです。