医療あれこれ

医療の歴史(111) 初めて認知症治療薬を作った日本人

 認知症と呼ばれる疾患の半分以上はアルツハイマー病であることはよく知られています。アルツハイマー病は、原因か結果かは別にして大脳にアミロイドβという異常タンパクが蓄積している病態で、脳血管疾患その他の脳疾患が原因で認知症の症状が発症したものではなく、脳細胞自体が変性した病態です。この治療薬を世界で初めて開発し実用化させたのが日本の製薬会社のエーザイでその薬剤はドネペジル(商品名アリセプト)です。そしてこの薬剤開発の中心となったのが当時エーザイの研究チームリーダーだった杉本八郎です。

 杉本は1942年東京下町の生まれです。少年時代、小説家か詩人を夢見た文学少年だったそうですが、生家は貧しく、化学技術を身につけて学校を出たらすぐに働けるようにという母のすすめでその当時、江東区にあった東京都立化学工業高校に進学。卒業後すぐにエーザイに入社しました。研究補助員として働きながら、正式な研究員となるために中央大学理工学部工業化学科の夜間部に通ったのです。卒業してから成功率0.005%といわれる困難な新薬開発研究の仕事に正式に従事するようになりました。

数年たった頃、杉本に化学技術の道に入ることを勧めてくれた母親が認知症を患いました。母を訪ねても自分の顔がわからないことにショックを受け、有効な薬物治療法がなかった認知症の治療薬を開発しようと心に決めたのです。そして脳内での神経伝達物質であるアセチル・コリンを増加させることによりアルツハイマー病を治療することを目的として、アセチル・コリンを分解する作用をもつコリンエステラーゼの阻害薬としてドネペジルの合成に成功するのでした。これを治療薬として発売するためには学術的な根拠が必要です。杉本は毎日図書館に通って夜遅くまでかけてドネペジルの論文を書き続け、ついにアルツハイマー病治療薬アリセプト(ドネペジル)が世に送り出されたのでした。そしてこの間に杉本が著したいくつかの論文が認められ、広島大学から薬学博士の学位を受領、その後、京都大学薬学研究科教授に着任したのでした。

1997年アトランタでのドネペジル新発売大会で、開発者の代表として発表し2500名の出席者からスタンディングオベーションを受けた時、杉本は「若い人に伝えたいのは、頑張れば高卒でもやればできるという事です。」と述べています。

引用:  アリセプト開発物語http://www.aricept.jp/story/

熱意を絶やさず夢を追い続けたいYOMIURI ONLINE 2017.8.25