医療あれこれ

2014年7月アーカイブ

kanzou.jpg 酒のほかに古来から薬物として用いられたものの中心は、草木の皮、根、果実や葉など薬用植物といわれるものでした。富士川游著、日本医学史綱要には薬用植物として葛(くず)、蕉青(カブラ)、蒲黄(ガマの花)、薄(ススキ)、葦(ヨシ)、比々羅木(ヒイラギ)、樺(カバ)、桃、赤酸醤(ホウヅキ)、柏、樫、真堅木(マサヤキ)、楓(カエデ)、挙樹(クヌギ)、羅(ラ;ガーゼのような薄い布?)、檜(ヒノキ)、茜(アカネ)、葡萄(ブドウ)、海布(メ;ワカメなどの海藻)、蜀椒(ナルハシカミ;山椒)、胡桃(クルミ)、竹などがあり、中でも蒲黄や桃は治療に用いた記録があると述べられています。一方、江戸時代(1558年)に佐藤方定(佐藤神符満)が著した備急八薬新論には、人参、附子(ブシ)、原朴(ホウノキ)、甘草(右の写真)、胡椒、丹砂、巴豆(ハズ)、大黄が挙げられています。この中には丹砂のように鉱物も含まれていますが、これら八薬は神代から治療に用いられるとのことです。

 典薬寮の付属施設である薬園では、薬園師の統率でこれらの薬用植物が薬戸により栽培、管理されていましたが、薬園は朝廷の支配が及ぶ各地に存在したようです。yakuon.jpg

医療機器と携帯電話

 ご存知のように、これまで鉄道各社は電車内の「優先座席付近などで携帯電話の電源は終日オフにして下さい」とアナウンスしていたものが、今年の7月以降「混雑時には、電源をお切り下さい」のように、「通話はご遠慮下さい」はそのままですが、電源オフの規制を緩和しています。阪急電鉄では、携帯電話電源オフ車両を撤廃して、他の私鉄同様に「優先座席付近で混雑時には・・・」と変更されています。

pacemaker2.jpg このような公共の場所での携帯電話使用規制は、常時、医療機器を使用している人への影響を考慮したものでした。常時使用する医療機器の代表が写真に示す埋め込み型ペースメーカーです。心臓は、右心房に洞結節という心臓独自の生理的ペースメーカーがあり、その電気的刺激で規則正しく拍動しています。その洞結節のリズムが不調になる洞不全症候群や、刺激が心臓の筋肉に伝導されることが障害される房室ブロックなどの不整脈では、人工ペースメーカーという機器によって心臓のリズムを制御することが必要になるのですが、常時これをおこなうためにペースメーカーを皮膚の下に埋め込んでおくものです。携帯電話など電波を発する電子機器はこの埋め込んだペースメーカーを狂わせる可能性があることから、これまで使用規制があったのでした。

 1997年の厚生省(現在の厚生労働省)指針では、電子機器を22 cm以上近づけると埋め込み型ペースメーカーに影響を及ぼすとしていたことから、電車内での携帯電話使用規制が実施されていました。しかしこれは20年近く前の旧式の携帯電話のことであって、新しい機種になる程この影響が低減され、3 cm以上離せば問題ないという新機種の携帯電話(スマートフォン)も登場しています。そこで今回の規制緩和になったわけですが、混雑時には、ペースメーカー使用者の体と直接接触することもあるので、やはり注意が必要というわけです。

 なお人工ペースメーカーに影響をおよぼす機器は、携帯電話だけではありません。最近の米国から発表された論文でも、MP3などのヘッドホンからも影響が出るとのことで、「埋め込み型医療機器のある胸の上に、他の人がヘッドホンを付けたまま頭をのせるようなことがないように注意してください」と発表者は述べています。

 昔から、「酒は百薬の長」といわれているように、古代からの内服薬として酒が用いられていました。富士川游著の日本医学史綱要にも「薬物の内用は、酒を以てその始めとすべし」と記述されています。医療の歴史(36)でご紹介したように、医薬の祖;少彦名命は、病気を治す薬の一つとして酒造りの技術を普及させたとのことです。

 酒の薬効としては、適度の飲用により、食欲を亢進させ、精神的ストレスを緩和すること、また血管を拡張させることにより血液循環を良好にするなどが考えられます。しかし古代に「酒は万病を除く」とされていたのは、酒に酔うと一時的にでもさまざまな苦痛が緩和されるという程度のものだったのでしょう。

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 一方、漢方薬に使われる生薬を原料の一部として醸造されたいわゆる薬酒は、日本においてもその歴史は古く、奈良の正倉院に伝わる739年頃の文書に「写経生の足のしびれに薬の酒を飲ませる」ことが記述されています。薬酒は後漢時代の中国から漢方薬とともに日本に伝えられたもので、酒のもろみに薬材を添加し発酵させる発酵薬酒と、酒のなかに薬材を浸して作る浸薬酒の2種類ありますが、古代からの浸薬酒として代表的なものが「屠蘇(とそ)酒」です。56種類の生薬を酒やみりんに漬け込んで作るもので、正式には屠蘇延命散といいます。元旦に屠蘇を飲み一年の無病息災を願う正月の風習は、811年に宮中で行われたのが始まりだそうです。

 たとえ病気にかかることがなくても、人間の寿命には限りがあり、115歳ぐらいが最長と考えられています。しかしその中でも、生活習慣を改善し老化を抑制することにより、健康な生活を長く維持することができればこれほど望ましいことはありません。このためさまざまな抗老化療法が考案されていますが、そのうち最も安全で簡便な方法は食事でカロリーを制限することと、適度の運動を続けることです。

koucallory2.jpg カロリー制限は老化を遅らせて平均寿命を延ばすことが報告されており、運動を続けると健康寿命を延長させるとされています。カロリー制限は、老化を促進する要因を最小限に抑制し寿命延長効果の本質であることが明らかにされていますし、適度の運動を続けることは健康生活を維持するのに有効であることは言うまでもありません。

 またアルツハイマー型認知症やパーキンソン病などの神経疾患に対してカロリー制限はその発症を抑制する効果があることが動物実験で確認されています。近い将来、カロリー制限療法がこれらの難治性疾患の予防・治療法として有効であることを確立することを目的として研究が進められています。

 しかし、長期間にわたって極端なカロリー制限を続けると、栄養素のバランスを維持することが困難となって、逆に健康障害のリスクになる可能性も考えられます。栄養のバランスがとれ、しかも理想的なカロリー制限をおこなうことが必要となるでしょう。

 

引用:入谷敦、森本茂人:日本医事新報47062014.7.5P57


 律令制のなかで、実際に医療者養成機関として制定されたのが典薬寮(てんやくりょう、くすりのつかさ)です。大宝律令で定められた中央官僚機関のなかに現在の厚生労働省にあたるものは存在せず、典薬寮は宮内省に属する部署として設置されました。それは典薬寮では、医療関係者の育成および薬剤として用いる薬草園の管理が行われましたが、その医療行為は主として宮廷官人に対するものだったからです。当初は典薬寮とともに天皇への医療をおこなう内薬司が別組織として設定されましたが、896年には典薬寮と内薬司は併合され、朝廷における医療を全て管掌する機関となりました。

kususi2.jpg 典薬寮の長官として典薬頭(てんやくのかみ)が統率し、実際の医療は医師(10人)、針師(5人)、按摩師(2人)、呪禁師(2人)で実践しました。さらに医博士、針博士、按摩博士、呪禁博士が任命されました。博士とは、現在の学位としての博士とは異なり、学生を指導する教授としての官位でした。これらの教員から医術を学ぶ医生(40人)、針生(20人)などの学生がいました。また薬園の管理をする薬園師(20人)と、その手段を学ぶ薬園生(6人)、さらに実際に薬園の手入れをする薬戸などがいたそうです。

 これらは国の中央組織ですが、地方でもこれに準じて医療者組織が形成されていく制度になっていたようですが、十分に浸透していったのか否かは定かではありません。また中央政府の典薬寮も平安時代以降は朝廷内にだけその形を残すのみとなっていましたが、1869年、明治維新に伴う制度改革によって廃止されました。しかし7世紀の律令制により形成された機関が、1000年後の明治維新まで存続したという大変まれな存在でした。

 典薬寮の役職として呪術師が設定されていたように古代の医療はやはり呪術的な色彩が強かったようで、典薬寮の最高責任者である典薬頭として732年には修験道の開祖とされる役小角(えん おづの)の弟子であった韓国広足(からくにのひろたり)が就任しています。その後、典薬頭は和気清麻呂を開祖とする和気氏、そして現存する日本最古の医学書「医心方」を編纂した丹波康頼に始まる渡来系の氏族である丹波氏らが世襲することになっていきました。