医療あれこれ

2014年5月アーカイブ

 仏教伝来は、古代日本の政治的争いに大きな影響を及ぼしました。蘇我氏と物部氏の二大豪族は大和朝廷内での勢力争いを繰り返していました。そこへ百済から伝えられた仏教をわが国が受け入れるのかどうかの判断を迫られたことが、この政争にさらに火をつけることになりました。蘇我氏の時の当主であった蘇我稲目(そがのいなめ)は、このような新しい信仰を早く受け入れて国を繁栄させていくべきだと、時の欽明天皇に奏上しました。これに対して日本古来の神道を深く信仰していた物部尾輿(もののべのおこし)は強く反対しましたが、この反対を押しきって天皇は仏教信仰を許可し、蘇我稲目は仏像を安置するため寺を建立し崇拝し始めます。

naniwaike.jpg ところが、仏教が伝来したとされる538年、国内に疫病が大流行したのです。半島との交流は物品とともに半島からの使者を介して疫病も一緒にやって来ることが十分考えられます。この時の疫病もおそらく仏教とともにもたらされたものだったのでしょう。しかし疫病の流行は神々のたたりであり、時の国政に過失があるためだと信じられていました。物部尾輿は仏教を受け入れたため、国神の怒りにふれ疫病の大流行がおこったとして、寺を焼き払い伝えられた仏像を明日香にあった難波池(写真)に投げ捨ててしまったのです。物部尾輿がこれほど仏教信仰に反対した理由の一つに、物部氏は古来、神道を最も崇拝していたことや、物部氏の専門領域として、軍事のほか医療に携わっていたという自負もあったのではないかと思います。

 しかし物部尾輿のこの対処にもかかわらず、疫病の大流行は収まることはありませんでした。その後、天皇や、尾輿の子である物部守屋が痘(かさ;おそらく天然痘だとおもわれる)を病み、各地で多くの人が痘のために亡くなりました。痘を病んだ人は、身を焼かれ砕かれるように苦しみ、泣きながら死んでいったのです。すると人々はこのような状態は仏教を弾圧したためだ、これを収めるには仏力に頼るしかないと逆に考えるようになり、仏教崇拝は再び広がりをみせることになりました。このようなことがあり激しかった蘇我氏と物部氏の争いは物部氏の没落という結果に終わったのでした。

甲状腺ガン

 甲状腺にできる腫瘍のうち悪性のものの多くが甲状腺ガンです。胃ガン、大腸ガン、肺ガンなどすべてのガンのうち甲状腺ガンの占める割合は1%ぐらいです。甲状腺ガンのうちで最も頻度が高いのが、ガン細胞の種類から、乳頭ガンといわれるものです。甲状腺ガンのうち90%以上がこの乳頭ガンですが、ガンの進展は穏やかな部類に入り、首すじのリンパ節へ転移することもありますが、適切に手術により治療をおこなうと、その人が10年後に元気にされている割合(10年生存率)は90%以上で、比較的経過がよいとされています。

 男女で発生頻度を比較すると女性に多く、年齢では中年以降の発症がほとんどです。自覚症状として痛みなどを感じることは少なく、甲状腺にしこりがあることに気づいたり、何気なく首を触ったときにしこりに気づくことが多いようです。また少し進行してリンパ節に転移があると、首すじのリンパ節の腫れで異常に気づいたことから、検査をして甲状腺ガンと診断されることもあります。

 診断にはまず触ってみる(触診)が重要で、硬くなめらかではない腫瘤を触れます。そこでX線や頸部超音波エコー検査、さらに針を刺して細胞を調べる穿刺吸引細胞診などの検査をおこないます。

 治療としては、乳頭ガンの場合、まず手術で摘出することですが、早期の場合、甲状腺の半分だけ摘出することが学会から推奨されています。しかし再発の危険が高いと判断された場合、甲状腺の全摘出、またリンパ節転移がある時は、腫れているリンパ節だけでなく、頸部リンパ節をすべて摘出することとガイドラインに示されています。

 また再発の予防を目的として、放射性ヨードが投与されます。以前にもこの項でご紹介しましたが、ヨードは甲状腺ホルモンの原料であることから甲状腺に取り込まれますが、これに微量の放射能を付けておくと悪性細胞の発生を抑制するというものです。日本ではこの放射性ヨードを外来でも投与できるように、至適投与量を少なめに設定しています。いずれにしろ早期に発見して適切な治療をおこなうことが最も大切です。

フレイルティとは

 フレイルティ(frailty)を単純に辞書で和訳すると「虚弱」という意味になります。医学的には歳を重ねて徐々に日常生活動作に障害が現れてきた状態を指します。アメリカの老年学会ではフレイルティを「75歳以上で日常生活に何らかのサポーつが必要な集団」と定義しています。脳血管疾患や転倒による骨折など急性のアクシデントがないにもかかわらず、75歳を超えると加齢による身体の衰弱が増加してくるということです。

 それでは「フレイルティ」と、以前にこの項でもご紹介しました「サルコペニア」(2013610日付医療あれこれ参照)とはどのように違うのでしょうか。サルコペニアはあくまで、年齢とともに筋肉量が減少するため下肢筋力がおとろえ歩行障害がおこることが原因の日常生活の障害です。これに対して、フレイルティは筋肉量の減少が明らかではない場合でも、心臓や肺、さらには脳など全身の臓器機能が徐々に低下してきて発生するものが主な要因で、高齢者に特有の状態ということができます。しかし全身の機能低下というものの中に下肢筋力低下も含まれますから、サルコペニアはフレイルティの一部と考えることができるでしょう。

 いずれの場合でも、適切な栄養を摂ることや、適度の運動などが日常生活動作の低下を低減することが想定され、高齢者の一般的な健康増進が予防効果をもつことが期待されます。

bukkyou.jpg

 仏教は538年、百済から伝えられたとされています。百済の聖明王の使者が難波津(現在の大阪府)から大和川を船で上り、初瀬川畔の交易地であり「しきしまの大和」と呼ばれる大和朝廷の中心地であった海柘榴市(つばいち:奈良県桜井市)に上陸し、経典と仏像(釈迦仏金銅像)を献上しました。

 古来、日本の民族信仰は神道でした。そこへもたらされた仏教は人の苦しみである「生老病死」という「四苦」の一つの病を救うとされます。仏のもつ高い治癒能力への期待が仏教を広く受け入れ、またたく間に国中に広がっていったのでした。奈良薬師寺の仏足石歌碑に、今までの医療職者より、新しい仏(薬師如来)による治病の方が優れているという意味の歌がきざまれているそうです。医療における仏教に対する期待の大きさが表現されているものと思います。

 さらに仏教の進展については、推古天皇のとき「三法興隆の詔(みことのり)」が発布されたことが大きく影響します。三法とは、仏、法、僧で、この詔は仏教を興隆させることが国の政策であることを宣言したことになります。こうして全国に寺院が建立され仏教は国民的宗教となっていきます。仏教の説話集にも、治病の大切さを説いているものが多くみられます。また医療従事者としても祈療を専門とする僧(僧医)が多く輩出され、近世に西洋医学が入ってくるまで僧医が医療の主流を占めるようになります。このように仏教は日本における医療の世界に大きく影響を及ぼしていったのでした。


 2012年のアメリカ健康調査(NHIS)の結果が、米国疾病対策センター(CDC)の死亡疾病週報(MMWK418日号に紹介されています。それによると、高校卒業未満の人に比べて、大学卒業以上あるいはそれに相当する最終学歴の人ほど喫煙習慣のある人の率が低いのに比べて、飲酒習慣のある人の率は逆に高いことがわかりました。この調査は25歳以上の人を対象としておこなわれていますが、年齢による相違や、男女の差などは明らかではありません。しかし最終学歴の相違が、その後の生活レベルや生活スタイルの違いに影響を及ぼしていることが考えられます。smoking.jpg

 しかしこれはアメリカ人のデータであり、日本でも同様であるとは言い切れません。とくに喫煙率は、最近、日本でも低下する傾向にありますが、それを考慮しても、最終学歴が最も高い人の喫煙率 7.9% という米国の結果は日本に比べて明らかに低率であると想像されます。一方、飲酒についてはわが国では、管理職に就くと、高血圧、肥満が発生しやすいことも指摘されており、飲酒率増加と何らかの関連があるようにも思えます。

 いずれにしろ、タバコは吸わない、飲酒はほどほどに、という生活習慣にすることが最もよいということは言うまでもありません。


引用: mtpro.medical-tribune.co.jp/mtpronews/1404/140466.html