医療あれこれ

2013年5月アーカイブ

 516日から18日まで熊本で第56回日本糖尿病学会が開催されました。その中では、516日付けのこのページでもご紹介した「ガン発症のリスクは糖尿病で高い」など多くの興味深い報告がありました。そのうち、今回は、最近、減量法や糖尿病治療として低炭水化物食(糖質制限食)がよいと言われていますが、これが本当に有効なのかという報告に注目してみました。

 低炭水化物食は短期的な減量や動脈硬化のリスクを改善することに有効であることが示されていますが、「長期的に見てこの低炭水化物食が本当に正しいのか」については一定の結論は得られていませんでした。日本糖尿病学会では、「極端な糖質制限は健康被害をもたらす危険がある」とう見解を発表していますが、結論は出ていません。今回の学会では、国立国際医療研究センター病院から、多くの症例を集めた解析(メタ解析)の結果が報告され、低炭水化物食は長期的な効果は認められず、逆に有意な死亡リスクの上昇を認めたとの報告がなされました。

 約27万人の健康な成人を5年から26年間追跡調査したところ、低炭水化物食群では高摂取群に比べて1.31倍死亡リスクが高かったそうです。しかし、心臓血管疾患による死亡リスクをみると両者に統計学的な有意差はなく、死亡に至らない心臓血管疾患を発症するリスクも差はなかったとの結果でした。

 低炭水化物食は血圧を下げ、血糖や脂肪分を減少させる短期的な効果のあることが認められており、これを続けることによって心臓血管疾患の発症を減少させることが期待されましたが、そういった長期的効果はなく、むしろ何らかの原因で総死亡リスクが上昇したという結論です。

 この報告だけで、「低炭水化物食はよくない」と結論づけることには無理があります。この報告は今までの症例を解析したものですが、本当のところはどうなのか?を調べるためには、正しい方法で構築された臨床試験のシステムを用いて、今後、低炭水化物食の人はどうなっていくのかを調べる(長期介入研究といいます)ことが必要であると思われます。

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 最もよく知られている抗生物質のペニシリンが発見されたのはまったくの偶然でした。イギリス人医師、アレクサンダー・フレミング(18811955)がロンドンのセントメリー病院で働いていた1914年、第一次世界大戦が始まります。病院には多くの負傷兵が運び込まれ、その多くは傷口が化膿してくるのですが、当時の医学ではこれを治すことができませんでした。医療の歴史(22)でご紹介したリスターの石炭酸は消毒薬として手術時の化膿の予防には有効ですが、化膿してしまった傷口を治すことはできません。フレミングは化膿つまり細菌感染を治療する方法はないものかと、細菌の研究を始めます。ブドウ球菌を培養皿で増殖させる実験をしているとき、培養皿の一つをうっかり窓ぎわに放置したまま忘れていたのですが、後で気付いたとき、その培養皿に青カビがはえてしまいました。培養の実験は失敗で、普通ならそれはゴミ箱行きになるところですが、フレミングがその培養皿をよく見てみると、青カビのはえた周囲だけはブドウ球菌が死滅していることに気付いたのです。もしかすると青カビの成分には細菌を死滅させる成分があるのではないかと考えた彼は、青カビの濾過液から細菌を殺す作用のある物質を発見します。青カビの属名であるペニシリウムの名をとって、その殺菌作用のある物質をペニシリンと命名したのでした。1928年のことです。

 フレミングはペニシリンの殺菌作用について1929年に論文を発表しましたが、当時はあまり注目されませんでした。なぜなら彼はペニシリンの塗り薬を作って化膿した傷口にぬると石炭酸よりよく効くことまでしか確かめて発表しておらず、現在のようにペニシリンの飲み薬や注射薬など全身的に投与することまで考えが及んでいなかったのです。優れた、そして世界初の抗菌薬ペニシリンが医学の世界で認知されるまでにはもう少し時間が必要でした。


 以前から、糖尿病とガンは共通する危険因子があり、両疾患の関連が注目されていましたが、このほど日本糖尿病学会と日本癌学会が合同でつくる「糖尿病と癌に関する委員会」から糖尿病の人はガンになるリスクが高いことが発表されました。

 この委員会は201110月から、わが国のデータ解析を続けて来ました。発表によると、解析の対象となった335千例のうち、ガン罹患者は約33千例で、糖尿病患者さんにおける全てのガン発症の危険性は、糖尿病でない人の1.2倍であり、男性と女性では差はありませんでした。またガンの種類別にみると、肝臓ガンが1.97倍と最も危険性が高く、次いで膵臓ガン1.87倍、大腸ガン1.40倍の順でした。逆に前立腺ガンや乳ガンなどは糖尿病との関連性は認められなかったそうです。

 これらのことが起こる原因として第一に、糖尿病で生じるインスリンの異常が考えられます。インスリン様成長因子などが細胞の増殖を進展させる可能性があり、ガン細胞が増殖することにつながることが想定されます。また高血糖が続くと酸化ストレスが強くなり、DNAを傷つけてガン発症につながる可能性などが挙げられています。

 糖尿病とガンに共通する危険因子としては、加齢、肥満、運動不足、不適切な食事、喫煙、アルコールの飲み過ぎなどがあります。そこで特に糖尿病の人では、食事、運動療法や禁煙、節酒が、ガンになる危険性を低めることにつながる可能性が示唆されています。規則正しい生活と血糖を良い状態にコントロールすることが、ガン発症を予防すると考えられます。

 長い医療の歴史の中で、感染症との戦いは医療者の最大の課題でした。これまで見てきたように、パスツールによる生物自然発生の否定やワクチンの開発(医療の歴史1819)、コッホによる結核菌やコレラ菌の発見と感染症発症機序の解明(医療の歴史23)、リスターらによる消毒法の開発(医療の歴史22)などは、感染症の予防法に道を開いたものでした。しかし実際に感染症が発症してしまったとき、これをどのように制御するのか、つまり感染症の治療法を確立する課題が残されていました。

 性行為によって感染する性感染症の一つである梅毒の治療薬を発見したのはパウル・エールリッヒ(18541915)です。梅毒は放置すると全身症状が進行して、最終的に脳がおかされ死亡してしまう恐ろしい病気です。しかしその原因は、スピロヘーターという病原微生物の一つである梅毒トレポネーマが感染して発症するということはすでに判っていました。そこでこの梅毒トレポネーマを死滅させる薬品を創出することができれば、梅毒を治療することができるわけです。化学技術の進歩はさまざまな化学物質を作り出すこととなりましたが、多くの化学物質の中で、人体には無害で病原微生物だけを傷害する物質を選別することができれば、それがその感染症の治療薬になるわけです。

 エールリッヒは自身の研究所に留学していた日本人、秦 佐八郎(18781938)とともに、合成された無数のヒ素化合物を一つずつ動物実験により調べ続けました。そして1910年、ついに梅毒に有効な化学物質を発見したのです。サルバルサンと命名されたこの薬品は、医療の歴史で最初の合成化学療法薬品として、多くの梅毒患者を救うことになりました。化学薬品を使った薬物治療を化学療法と言いますが、エールリッヒは化学療法の創始者となったのです。なお抗ガン剤もほとんどが化学薬品ですから、ガンに対する抗ガン剤治療も化学療法の一つです。

 エールリッヒは免疫学において業績を残しています。病原体つまり抗原を免疫反応により除去する抗体が産生されるのは、白血球の表面に抗原の受け皿つまり受容体(レセプター)があり、これに抗原が結合すると、細胞が刺激されて抗体となるという「側鎖説」を確立しました。これらの業績によりエールリッヒは1908年ノーベル賞の医学・生理学賞を受賞しています。

 バセドウ病など甲状腺ホルモンが過剰となる病態では、血管内で血液が固まりやすくなる、つまり血栓症をおこしやすいことが知られています。血液成分からみると血栓症は主として次に示す3つの機序が関係して発症します。

  ①血小板という血液中の小さな細胞が凝固して血栓を作る

  ②血液の液体成分のタンパク質である凝固因子が血栓を作る

  ③血栓を溶解する繊維素溶解系(線溶系)の機能が低下する

 甲状腺ホルモンはこれらのうち、凝固因子の一部を活性化させ、線溶系を抑制する別のタンパク質が増加して線溶系が働かなくなることが原因であるとされています。つまり主として②と③の機序が関係しているのです。

 血栓症は2種類あります。心臓から体の各所へ血液を流し込む動脈に血栓ができる動脈血栓と、体の各所から心臓へ血液が帰ってくる静脈にできる静脈血栓の2つです。動脈血栓により血液が通らなくなると、その部分は酸欠になって組織が腐ってしまいます。例えば脳の動脈が血栓で閉塞すると脳梗塞、心臓の筋肉に血液を送る冠状動脈が血栓で閉塞すると心筋梗塞になってしまうといった具合です。それに対して静脈血栓は、心臓へ血液が帰って行かないので体の一部にむくみや痛みが生じます。よくある静脈血栓として、足の深部静脈血栓症がありますが、これは足が痛く腫れるだけでなく、血栓が静脈から流れ出すと突然肺の血管を閉塞させ呼吸困難の状態になってしまいます。これが「エコノミークラス症候群」として知られているもので、飛行機の狭い座席に長時間座って足を動かさないでいると足の静脈に血栓ができてしまうのです。

 上述した3つの機序のうち、①血小板 は主として動脈血栓の原因となり、②凝固因子 は静脈血栓の原因となることが知られています。一方、③線溶系 は理論的には、動脈血栓、静脈血栓の両方に関係すると考えられます。したがって甲状腺ホルモン過剰は、主として静脈血栓の危険因子です。

 さらに甲状腺ホルモン過剰状態で、治療が必要な明らかな(バセドウ病などの)疾患だけでなく、治療は必要ないけれどもわずかに甲状腺ホルモンが増加している場合においても、これらの血栓症発症のリスクは高くなっていると言われます。甲状腺ホルモンの異常はお薬でコントロールすることができますから、状況に応じてしっかりと経過観察し、治療していくことが血栓症の予防につながります。