医療あれこれ

2013年1月アーカイブ

 病気の診断や治療など医療は何を根拠に行われるのでしょうか。最終的にはその患者さんを担当する医療者が状態を判断して、実際の医療を行うことになるのですが、その判断の根拠が確かなものでなければなりません。

 例えば一人のベテラン医師がある患者さんを診療するとします。その時、「私の長い医療職者としての経験からすると、この症例はこうであることに間違いはない」と考えて実際に医療を行ったとします。ほとんどは、この判断で誤りではないことが多いのですが、中にはその担当医療者の誤った考え方や勘違いなどがないとは限りません。そうすると、その患者さんの病気は最もよい経過をとることはなく、病状が悪くなって治るまでに必要以上の時間がかかったり、場合によっては治らないという結末になってしまいます。また経験の浅い医療者が診療するときには、その「長い経験」がないものですから、いったい何を根拠にすればよいのか迷うことでしょう。昔の医療はだいたいこのようなものでした。患者さんにとっては、これでは本当に適切な治療を受けることができません。

 現代の医療は、「根拠に基づく医療」が基本です。英語で言うと、根拠=Evidence、基づいた= Based、医療= Medicine、つまりEvidence Based Medicine、この頭文字をとってEBM(イー・ビー・エム)といいます。1990年代ごろアメリカやイギリスからこの考え方が普及してきました。

臨床における根拠(エビデンス;Evidence)は理論的な考え方や基礎的実験結果ではありません。実際にあった多数の症例で検証して得られた結果を解析したものです。理屈では予想されることでも、それが本当に実際の症例にあてはまるのかどうかまで検証することが求められます。机上の空論ではだめなのは当然のことです。昔の日本の医療はドイツ医学を基本としていました。ドイツでは実験的理論を中心にした考え方が基本で、臨床的に実際の症例を詳しく観察した考え方のアメリカやイギリスとは少し違っていました。そのため日本においてEBMの考え方が普及するのに少し時間がかかったのです。

 さらにその根拠(エビデンス)は、大多数の症例を対象にしたものでなければなりません。例えば、ある1つの治療法を数人の患者さんに試して成功したとしましょう。しかしその結果は、たまたまその数人の人に有効であっただけかも知れません。10人ぐらいならどうでしょう。たとえ10人全員に有効性が認められたとしても、11人目、12人目には無効であるという結果がでたら、その医療法の有効率はどんどん低下していく結果となってしまいます。百人より千人、千人より1万人を対象にして確かめた方がより確実な結論を得ることができるでしょう。ですからよい根拠(エビデンス)を得るためには大多数の症例を対象とした「大規模臨床試験」が必要なのです。

 ちなみに今流行りの健康食品やサプリメントの多くはこのような「大規模臨床試験」で得られた根拠のもとに生産されたものではないため、効能書の内容が本当に正しいのかどうか解らないこともある点に注意することが必要です。

 これまでにふれた外科の歴史を整理しておきます。まず外科と内科の違いは、手術をして体の悪いところを切り取ったりして治療するのが外科で、お薬などにより病気を治すのが内科です。昔は刃物を使って血を浴びて仕事をする外科医は、内科医より身分が低いと考えられていました。その外科医の地位を高めたのは、医療の歴史(13)でご紹介したアンブロアズ・パレ(15171590)です。しかし彼の業績を以てしても、外科に従事する人は医師というより職人という印象で見られていたと思います。

 あたりまえのことですが、刃物で体に傷をつけると大変痛いので、手術はできるだけ手際よく短時間に済ますことが求められました。有名な外科医とは(手塚治虫のブラック・ジャックのように)すばやく手術をする人だったのです。当時の外科手術の様子はおそらく次のようなものだったのでしょう。手術台に乗せられた不安でいっぱいの患者さんは、手術が始まると体を切られる痛みのために絶望的な悲鳴をあげて暴れまわります。それを力持ちの何人かの助手が一斉に押さえつけている間に手術を終わらせるのでした。術者やその助手たちには耳栓が必要でした。患者さんの悲鳴が聞こえないようにするためです。ethelOP4.jpg

 患者さんの痛みをなくした状態で、慎重に手術をする無痛手術ができないものかが、長年の外科医の夢でした。それを実現させたのが、ウィリアム・モートン(18191868)です。彼はマサチューセッツ総合病院でエーテル麻酔の公開実験を行いました。18461016日のことで、外科にとって最も記念すべき日となりました。そしてその公開手術が行われた部屋は「エーテル・ドーム」として今でもマサチューセッツ総合病院に残されています。モートンの無痛手術の成功は、またたく間にアメリカからヨーロッパに伝えられ、麻酔による外科手術が行われるようになりました。

 しかし、これで外科手術の心配事は全て解決されたか、というとそうではありませんでした。麻酔手術により大胆な手術が行われるようになったのですが、手術のあと感染症で体が腐ってくる脱疽が激増したのです。ナイチンゲールが活躍したことで有名なクリミア戦争(18541856)では、戦死者1万人に対して、戦傷により手術を受けその後亡くなった戦病死者が8万人にのぼりました。手足に傷を受け手術をした人としなかった人の死亡率はほとんど同じだったのです。術後感染症の克服というもう一つの難問題が残されたのでした。

 ところで、モートンの麻酔による手術より40年以上前に全身麻酔での手術を成功させた人がいました。その人は日本の華岡青洲(17601835)です。1842年、マンダラゲ(チョウセンアサガオ)を調合した「通仙散」を用いて全身麻酔を行い、彼の妻にできた乳ガンの摘出手術を行ったのです。しかし時は鎖国中の江戸時代。世界に向けて発表することのなかった彼の業績は、西洋医学の歴史に刻まれることはありませんでした。

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 今年に入って、米国人がどの程度、健康で長生きできるかを日本やヨーロッパを含む先進17カ国で比較したところ、病気や事故による死亡率や平均寿命などが最も低かったと米国アカデミーが報告しました。日本人では女性の平均寿命は17カ国中1位(85.98歳)、男性は3位(79.20歳)なのに対して、米国人女性は16位(80.78歳)とワースト2、米国人男性にいたっては17位(75.64歳)と最下位でした。

 米国では国民1人当たりの医療費が先進国の中でも最も高いレベルにあるにもかかわらず、平均寿命や健康状態は他の先進国に大きく遅れています。具体的には「乳児死亡率および低出生体重」「外傷や殺人」「未成年の妊娠・性感染症」「HIV感染症/エイズ」「薬物関連死」「肥満・糖尿病」「心疾患」「慢性肺疾患」「肢体不自由」の9つの領域で最悪のレベルだったそうです。

 アメリカでは高カロリーの食生活に基づく肥満の人が多く、健康保険制度への未加入者が多いことが要因として考えられます。さらに最近のニュースでも問題になっているように、アメリカは銃社会で銃犯罪による死亡や交通事故、薬物被害や性感染症など、若年者の健康が損なわれている社会的背景が大きく影響しているようです。

米国医学研究所のレポートは「これは悲劇だ」「結果の重大さに衝撃を受けている」などと述べているとのことです。

iPS細胞の臨床応用

 昨年、京都大学の山中伸弥教授がノーベル賞を受賞したiPS細胞(人工多能性幹細胞)。以前にも少し述べましたが、これによって今すぐにでも夢のような医療が可能になったと考えられがちですが、実際に一般の臨床で応用されるようになるためには、もう少し時間がかかると思われます。

 まず、傷んでしまった体の臓器を健常な人から提供を受けた臓器で置き換える移植医療です。ほかの人から提供を受け移植された臓器は、移植を受けた患者さんにとって他人のものですから、患者さんの免疫が作用して、この臓器を傷害してしまう拒絶反応が問題となり、これを抑制するために免疫抑制剤の投与などさまざまな工夫がなされています。しかし患者さん自身の体の細胞から作り出されたiPS細胞は自分の体由来のものですから、この拒絶反応の心配が少ないことが理論的には考えられます。そこで無限にさまざまな細胞に増殖していくiPS細胞を用いた移植療法は最も期待される先進的医療になります。国内では数年から10年以内を目標にこの細胞移植療法の臨床研究が計画されています。このうち最も早い計画は、年齢を重ねると眼底にある網膜が変性して失明の原因ともなる加齢黄斑変性症の患者さんに対して、移植する臨床研究が2013年に開始予定だそうです。また糖尿病のうち、インスリンを作り出すはずの膵臓のランゲスハンス島にあるβ細胞が傷害されて、高血糖が持続するタイプの糖尿病患者さんに対しては、iPS細胞によりこのβ細胞を再生させることが確実な治療法として開発に向けた研究が進められている他、パーキンソン病の原因となる神経細胞の再生、肝臓疾患に対する肝細胞、腎臓疾患に対する腎細胞、さらに不足している輸血用の赤血球や血小板などの血液細胞を作り出すなどの研究が進められています。

 これらの細胞移植療法だけではなく、病気の原因を追求するために必要な、疾患モデルの作成に応用することが試みられています。例えば難治性の神経細胞変性疾患である筋萎縮性側索硬化症(ALS)は原因不明のまま全身の筋肉が動かなくなってしまう病気ですが、患者さんの皮膚細胞からiPS細胞を作り出して神経細胞へ分化誘導し、病気の原因を究明する試みが5年前から進んでいます。

 その他、iPS細胞から作り出した臓器の細胞を用いて、薬の副作用である薬剤毒性のメカニズムを研究することが考えられます。この方向で最も進んでいるのが、心臓の筋肉、心筋細胞で、人に薬剤を投与してみることなく、心毒性を評価することが可能になります。

 このように多方面にわたって治療法、診断法さらに治療薬の開発が盛んに研究されていますが、これらの研究には資金が必要です。政府もこのiPS関連の研究に多くの予算を付けることを考えているとのことです。

 天然痘は疱瘡あるいは痘瘡ともいわれ、18世紀まで不治で致死的な病と恐れられていました。原因は、天然痘ウイルスが空気中から、あるいは病気の人と接触することにより感染するものでしたが、死亡率は30%40%とされ、もし生きながらえたとしても、皮膚の障害などが一生残るもので、18世紀のヨーロッパでは、全人口の三分の一の人が天然痘の後遺症を持っていたとされています。

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 この恐ろしい天然痘を予防し撲滅する道を開いたのが、イギリス人エドワード・ジェンナー(17491823)でした。その当時、天然痘にかかった人でも幸い軽症ですんだ人は二度と天然痘にはかからないことが知られていました。また人に発病する天然痘が牛や豚などの家畜にもみられ、牛痘と言われており、酪農家で牛痘にかかる人もいましたが、人の天然痘のように致死的でもなく、そのあと天然痘に感染することもありませんでした。これらのことに注目したジェンナーは、天然痘や牛痘に一度かかると、今で言う天然痘に対する免疫ができるのではないかと考えたのです。ある時、牛痘にかかった酪農家の女性の皮膚から膿を採取し、人に接種することを決意します。接種を受けたのはジェームス・フィリップスという8歳の少年で、ジェンナー家の使用人の息子でした。少年の皮膚に傷をつけ、そこに牛痘患者から採取した膿を接種しました。そして12ヶ月のち、今度はその少年に天然痘の患者から採取した膿を投与しましたが、フィリップス少年は天然痘にかかりませんでした。1796年、この歴史的な人体実験が行われたのです。医療の歴史(19)で、ルイ・パスツールによるワクチン開発をご紹介しましたが、それより90年も前のことです。ワクチンによる予防接種を確立していったのはパスツールですが、世界で最初に予防接種を成功させたのはジェンナーということになります。ワクチンという言葉は当時、牛痘の事を「ワクシニア」と呼んでいた事から、後にパスツールがジェンナーに敬意をはらって命名したといわれています。

 その後、このジェンナーにより開発された天然痘予防法、すなわち種痘法は初めのうちは世間で受け入れられませんでしたが、次第にヨーロッパ中で行われるようになり、天然痘患者は激減して行きます。1977年、最後の天然痘患者が報告されて以来、世界中で天然痘は完全に撲滅されます。1980年、世界保健機関(WHO)は天然痘撲滅宣言を発表しました。ジェンナーの人体実験から200年余り後のことでした。天然痘ウイルスは今後の研究のためにと、少し前までアメリカとロシアに保管されていましたが、生物テロに使われる危険もあるとのことから、すべて抹消されてしまいました。つまり人類は地球上から天然痘の病原体を完全に消し去ることに成功したのです。

 なお、ジェンナーは自分の息子を使って最初に牛痘ウイルスを接種し、種痘法を開発したと伝記に書かれていることがありますが、実際は自分の息子を使った人体実験は成功しませんでした。最初に人体実験に成功した被験者のフィリップス少年に対して、ジェンナーは深く感謝し、家一軒を贈り、生涯友好関係を持ち続けたそうです。